2009.8.31~9.4 【気功講義|食と気功】
人の身体、塩分について(1)~(3)
|
無意識のうちに取っているほどの塩分の量で、身体に悪影響を及ぼすでしょうか?
このことは、定説として現代の医学でも認められていることです。 マスコミなどでも、しきりに「塩分を控えましょう」と、繰り返し繰り返し言っています。 人の生活に、火を使えるようになり、調理をして味付けをすることが可能になりました。塩を使って、煮る・焼くということが、食品の貯蔵に役立つと言うことが分かってきました。 また、塩で貯蔵するという知恵も生まれました。
塩は人の生活や食文化、そして、食品の貯蔵に大きな役割を果たしてきました。 人々の生存の可能性を拡大して、人口の増加を可能にしました。 それによって、人は集合して生活することが可能になってきたのです。したがって、塩は生活の文化を創り出し、人の生活の文化をも生み出してきたのです。
人の生存の可能性を広げてきたという点で、大きな役割を果たしてきました。その歴史の中で、塩分の多い食事というのは許容されてきたわけです。 しかしながら、一部の心臓に疾患を持った者などでは、浮腫などが起きて、水分の排泄がうまくできない異常がでてきました。
やがて、心臓などの臓器の機能が低下、停滞している場合には、塩分の量を減らすと体調が改善することを発見したのです。そのことは、医学の発展と健康と食生活の重要性の認識を深めるために有効でした。
海水から作られた塩が、盛り塩をしたり、お葬式の後で身体を祓ったりするのに効果的なように、邪を祓うのに効果があるとしたら、体内の邪も塩を取ることによって祓ったり排泄することが出来るのではないかという疑問が湧きます。
とは言え、実際には臓器の調子の良くない者が、塩を取りすぎると具合が悪くなり、減らせば好転することが判ってきました。
然れども、この発想は、逆転する要素を持っています。 つまり、塩分が、身体の浮腫を悪化させる物ではなく、臓器の異常な機能の低下が身体の浮腫などの異常な結果をもたらすのです。
臓器が正常に働く力があれば、塩分の摂取は排泄という形を取って、なんら問題なく体外へと排出されるのです。体内では塩は祓う機能はあっても、その者に排泄するだけのエネルギーがなければ体外へと持ち出せないのです。 ミネラル分を含んだ、海水で創られた塩は、身体を構成する他の微量な成分も含まれているので、循環を促進する働きさえあります。
大量に摂取することさえなければ、塩分を摂取することは、それほど悪いことではありません。むしろ、身体にとっては、重要なミネラル成分です。それでは、臓器の機能が、低下しているときに、塩分を少なくするとなぜ、臓器の負担が減るのか。という点について言及しましょう。
塩分を制限すると水のコントロールが容易になるからです。臓器の機能の低下がある場合には、塩分を少なくすることが有効なのです。臓器の中で身体全体のパワーに一番関わっているのは腎臓です。その腎臓が水つまり小便の排泄に関わっているのです。
けれども、臓器が十分に機能する力を持っているにもかかわらず、予防的に塩分を少なくすることが、健康に良いとは言い切れません。 不必要にたくさん取ることも、不必要に制限することも無駄なことです。
健康な者は、自然に海水から造った塩を取ればよいし、臓器の具合が悪い者は、良くなるまで減らせばよいのであって、健康な者まで減らす必要はないのです。
人が自然な食生活を営み、文化の継承として、塩の働きを尊重してきました。
取りすぎ、食べ過ぎ、または食べない。という極端な健康法をいたずらにするのではなく、塩分も他の食品をも生きて働くために摂取することです。
「地産地消」の原則の中で、地に根ざした食品を食べる。暮らしている土地の風土のあったものを食べる。食文化の発展の原則のなかで、人が脈々と伝承してきた文化をいかすことが、塩の消費の面からもいえます。
風土に合わない珍しい食品が横行し、季節にも、生活にも合わない食物が多いのが現状です。「よい」とされるモノを時も季節も身体の条件も関係なく、ただただ大量に取れば元気になると考えているサプリメントなどの物は、過ぎたるが及ばざるがごとしです。たとえば、アフリカでタロイモばかりを食している者達の食生活が、全ての人にとって、良好な食事とも言い切れません。
健康な者が無意識のうちに、即ち通常の生活の中で普通に取っている塩分程の量は身体に悪いとは言えず寧ろ良い結果を生みます。(精製された物や、岩塩は除く)
寧ろ、良い物だと言って意識して大量に取るサプリメントや薬の類の方が、身体にとっては遙かに悪いと言えるでしょう。
風土にあった、食物、食品を食べることが一番良い食生活であることを忘れてはいけません。塩についても伝統に根ざした、塩の消費量を守るべきで、文化の伝承を受け継いでいく必要がありそうです。
(完)
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.8.28~9.2 【気功講義|食と気功】
絶食は、体質改善や、病の改善に効果があるのか?(1)~(4)
|
上記、表題のことについて、神様に聞いてみました。
「心身共鳴神法」(日之本元極功法による長期継続的遠隔外気法)に属する代謝の神です。人の代謝の仕組みについて私が答えます。
人の代謝の仕組みについて説明するならば、消化、吸収、排泄、ということが一連の機能といえます。その仕組みの中で、食物からエネルギーを得て、身体に分散して、人の活力としているわけです。
それらのサイクルが、食べ物が取り入れられないという状態になると、休業状態となります。これは、安定した供給がなされないということになって、細胞は飢餓状態となります。そのために、活性化して働きを強め、消化も吸収も排泄も働きを強めて、食べ物を待ち受けるような状態になります。
それは、一連のサイクルですから、食べ物が入らない場合でも、サイクルの働きを強めることとなります。 瀉(悪い物、いらない物を排泄すること)の働きが活性化されるならば、食品を吸収する働きも促進します。
吸収も排泄も、その仕組みの中の弱っている、
停滞している部分を何としてでも活性化させて、機能を高めるような命令をします。
そこで、吸収と排泄のサイクルがより働きを強めることになります。これが、「絶食」によって起きる、吸収と排泄の作用の強化です。
前回伝えたのは、一般的な者達のことです。元極功法の修練者においては状況が大きく変わってきます。
修練者に、特徴的なことは、三元エネルギーが備わっているという点です。この断食期間中に置いても、修錬することで三元エネルギーが、どんどん注入されるという方法が取られます。
それによって、消化吸収、排泄のサイクルは、どんどん若返えって、機能を高め、より旺盛な 消化、吸収、排泄の力を持ちます。新陳代謝がより進み、古いものは排泄されて、新しいものが生まれるというシステムが、稼働します。
これが、あなた方元極功法修練者に特徴的な絶食の作用、効果となります。
絶食の適切な期間は、どれだけかと問われれば、個々によってばらつきがあります。上級修練者であれば、6日間程度が適当だと判断されます。それは、長い期間でも十分に耐えうる体力もあるし、精神的にも鍛えるという意味合いもあります。
いくら、活性化されて、十分に働く消化吸収の期間であっても、それ以上改善できない頂点があります。そうすると、そこで頂点が(機能の改善が)、どんどん下がって行くということが起きます。
頂点が下がらない。馴れ合いにならない程度の絶食期間、が適当なのです。一番良い状態で絶食が終えられるのが理想なのです。むやみに長くする必要はないのです。寧ろ逆効果になります。
絶食において、一般的に勧められないことがあります。
絶食をむやみに、行う説は、あまり適切ではないと考えています。
一般的に行われている絶食では、体調の良い者では、良い結果がもたらされることもありますが、体調の悪い者が、絶食をしても結果がでないことがあります。個々のケースによりますが、体調の悪い者は、あまり行わない方がよいと考えています。
それは、身体にエネルギーが少なくて、有形の食物からエネルギーを取り入れなくてはならない、エネルギーを欲している身体なのです。取り入れて消耗していくスピードが速いため、有形の栄養を取り入れることは、重要なエネルギー補給なのです。
自分が健康だと思いこんでいる者にも注意が必要です。見えない所に病が潜んでいる可能性もあります。行う前に精密検査などを受け、問題ないことを確認して下さい。
そうした病気を持っている者や、体調の優れない者達は、まず元極功法を継続実施することで、健康を取り戻し、その上での絶食実施をすることで、肉体の代謝機能を更に高めるのに効果を顕すでしょう。
【絶食時、「海のまなみ」と「天のまなみ」は必要なのか 】
「心身共鳴神法」(日之本元極功法による長期継続的遠隔外気法)に属する代謝の神が、続けてお教え下さいます。
あなた方、元極功法修練者によるものと、一般的な絶食の効能とは、全く切り離して考えなさい。 あなた方修練者の場合には、「海のまなみ」と「天のまなみ」を取る必要はなく、すでに、エネルギーが充ちていますから、一般的な海水から造られた塩と水で不足を補うことで、充分です。(充分修錬を継続している者に対しての話です)
修練者は、基本的に塩と水を補充するだけで良いのです。 塩は、物質として身体の中にはいり、それは、塩分・ミネラルとして、身体の中に取り入れられて、組織を活性化させていきます。
絶食の時には、ミネラル分を含んだ海水を乾かした塩分を身体に取り入れることは、なお、よりよい排泄に繋がっていきます。 ですから、「海のまなみ」や「天のまなみ」をとっても構いませんが、あなたがたは、エネルギーが一杯なので、わざわざ、これにこだわることは無いということです。
絶食終了後の、食事には充分注意しなさい。三日間位かけて、徐々に流動食から通常の食事へと戻していくことです。量にも気をつけなさい。少しずつ、少しずつ三日間で増やして行って、通常の量に戻します。 (完)
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.8.23~25 【気功講義|食と気功】
「海のまなみ」の使い方(1)~(3)
|
通常市販されている塩に比べ「海のまなみ-食用」は、膨大なエネルギーが付加されています。そのエネルギーの働きにより、邪気排泄、祓い清め、エネルギーの供給などの力がある訳です。それに加え、「海のまなみ-祓い清め用」には、更に火のエネルギーが付加されています。
今まで通り、日のエネルギーが付加され、そして、それぞれの作業過程にまで遡って、火のエネルギーが付加されています。この「塩+三元エネルギー」は、邪気の排出作用が極めて効果的に、働いています。それは、「海のまなみ-食用」の3~5倍程度の邪気の排出作用があります。
また力も強い上にエネルギーの波動が細かく、身体の内部に浸透するような作用が強くなっていますから、邪気の排出も効率よく行われるということになります。
身体の中に入りやすい、浸透しやすい、そして、押し出す力が、大きいということです。塩のエネルギーの持つ波動の細かさは言うに及ばず、その細かさ故に、邪気対策に優れています。
この「海のまなみ-祓い清め用」の味としては、強烈に塩辛い印象がありますが、邪気排出効果が高まったためのエネルギーの影響です。「海のまなみ-食用」の素晴らしい味と比べてしまうと、味が落ちると感じるでしょう。甘み成分、旨味(うまみ)成分ということを活かして調理に使うならば、「海のまなみ-
食用」の方が「旨味」としてはおいしいと言えるでしょう。
邪気の排出や邪気を消す効果をねらって調理に使うのであれば、それは、どちらを使っても構わないわけです。たとえば、塩で揉んで苦みを消すなどの調理、野菜の灰汁(あく)を抜くというためにゆでる場合、貝や魚の生臭さを消すために塩で洗うなどの場合、消毒薬の付着が心配される野菜を洗うとき等には、「海のまなみ-祓い清め用」が優れているでしょう。
その他、料理に使う場合のほとんどは、火が使われていない塩=「海のまなみ-食用」が適しています。相手の味を引き出すような力があるからです。梅干しなど漬け物や保存食、味噌汁、やスープの味付け、生のまま味を引き出すために魚に振る塩は「海のまなみ-食用」の方がおいしいでしょう。
一般的に調理に使うには、「海のまなみ-食用」の方が料理を引き立てます。もちろん、好みにもよるでしょうから、使い方は皆さんが工夫していただければ構いません。
もう一つ、その方の体調によっても、受ける味の印象が違います。味覚と臓腑の働きには関連性があるからです。
また、修練によって「塩」の「塩辛さ」の味覚が変わっていきます。体調が改善すると、或いは体調が増進すると、「刺すような塩辛さ」や「苦み」が、「旨味」に変化します。エネルギーに満ちた「塩の魅力」を味わっていただきたいと思います。
<「海のまなみ-祓い清め用」を使って、場を清める方法>
場を清めるためには、その場に撒くのが効果的です。四隅に置いておくのも効果的ではありますが、一番良いのは、撒く方法です。家の中に気を運ぶ、家の中に邪気を入れない、という意味では、玄関や掃除の出来るところに撒いて使うことが一番良いと思います。そのほかに、「天のまなみ」に入れて、溶かして使う方法も有効です。こうすることによって、撒くだけではなくスプレー容器に入れ「天のまなみ」と共に室内にも噴霧できます。
塩で洗う方法もあります。洗い流すときに塩を使って洗うのです。 邪気の多いモノを塩で洗う。洗濯の時に、塩を使う。また、身体を洗うときに塩で洗う。そういう方法も有効です。「出毒素風呂」等のところでご紹介しているように、もちろん風呂にいれることも有効です。
また、塩を身につけることも一つの方法です。火のエネルギーが加わった塩ですから、そのエネルギーは莫大なものです。それを常に携帯するようにするのです。紙の袋や紙で包んで身体に着けるだけです。封筒などに入れるだけで構わないのです。
何も形式を整える必要はありません。それを、どんどん身につけて邪気を吸い取って交換していくといいのです。エネルギーを補い邪気を取ることに優れています。持つだけで痛み止めにも使えるでしょうし、重症の者の痛みをとるためには、塩で足湯をすることは昔から行われていた方法です。炎症を鎮める、痛みを取る。弱っているところにエネルギーを補充する。痛いところに貼り付けると暖まる。暖まることで、炎症が静まる。そういうことは、充分に効果のあることですし、歴史的に検証されていることです。
しかし塩には、刺激性もありますから粘膜や皮膚の弱いところに直接当てないほうがいいでしょう。全ての場合に、この方法が良いとは限りません。
このエネルギーのある塩は身につけておくことで、効果を現します。けれども、単なる民間療法と同じであるというレベルで考えてもいけません。敏感な方々であれば、この「海のまなみ-祓い清め用」の効果は明らかに分かるでしょうから、場づくり、邪気消し、風呂用には、この「海のまなみ-祓い清め用」の方が優れていると実感して戴けるかと思います。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.8.19~22 【気功講義】
海水から造った塩について(1)~(4)
|
塩には、いろいろ種類があります。海水から造ったもの、その中にもいろいろな製法があります。塩田における天日製塩法、イオン交換膜製塩法、揚げ浜式製塩法等。また岩塩や、海が堰き止められ湖となって、それが干上がって塩湖となり、出来た塩等・・・・。世界で使われている塩の、約40%が海水から造られるもののようです。
我々島国に住む日本人の感覚では、ほとんどが海水から造られていると思えてしまいますが、意外です。 そして日本の塩自給率は約15%と、お寒い限りです。
岩塩はどうして出来上がったかと言えば、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものな訳です。つまり元をただせば塩の全ては海水由来ということです。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれ、溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出します。この製法は不純物が混じらないので、食用として使えます。他方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、ほとんど不純物が混じっていることと、硬いので食用として適しません。
海より造る天日製塩法については、海水を塩田に引き込み、複数の水田を巡回させながら、太陽と風で海水を濃縮していき,中心にある最後の採塩池で自然結晶した塩を収穫します。商品として売るには、収穫されてから1-2年寝かされて水分をとった上で販売されることが多いようです。
岩塩が塩資源として存在せず、平地が狭く雨の多い日本では天日塩の生産にも適していません。そのため、古く奈良時代より濃い塩水(鹹水)をつくり、それを煮詰める、という極めて製造効率の悪い製塩方法が取られていました。よって海外の市販塩との物理的品質差と、価格差が大きかったといえます。
そこで濃い塩水(鹹水)をつくる方法の技術改良というより、製造コストの低減法(奈良時代からの揚浜式製塩法→江戸時代の入浜式製塩法→昭和30年代の流下式製塩法→昭和47年頃から現在まで続く最低の質の塩を造る製塩法=イオン交換膜製塩法)が開発されてきました。イオン交換膜製塩法が何故最低かと言えば、何のエネルギーも存在しないように造り上げているからです。
これら塩の製造由来の中で、何がよいかと問われれば、「海水から造った塩」といえるでしょう。海水から創った塩が優れているわけは、海で生き物が連鎖し、連鎖した生き物が、また新しい生き物を産み出すという、「生物が連鎖して生き物を産み出す力」がその塩の中にも機能してあるからです。その海の中からとった塩は、「生き物」が食べる塩として優れているのです。眼に見えないものの「生命」が溢れているのです。
かたや岩塩や塩湖の塩は、化石のようになる過程の塩であったり、化石のような息絶えてしまった塩の塊なわけです。もちろん食べても問題はありませんし、物質として有効なミネラルも含まれていますので、物質的肉体にとって有効なこともあります。
しかし、どちらかというと海で育まれた生命力にあふれる「塩」に明らかな軍配が上がります。海水からとった塩は、人の身体に一番適した滋養と無形のエネルギーをもたらすのです。 海水は塩分といえばそれまでですし、海水も岩塩も同じ成分だといえば物質的にはその通りです。しかし海水には、目には見えませんが、命を産み出す大いなる生命力のエネルギーが含まれているということを見逃さないようにして下さい。
日本に岩塩が存在しないということは、資源がないと嘆くよりも、寧ろ代々生命力の備わった塩しか食べることが出来ないように神が計られたと考えられるのではないでしょうか。
そして前述のように、日本では天日塩の生産にも適しておらず、極めて製造効率の悪い製塩方法で、鹹水をつくり火によって煮詰めて製塩していました。日本では、この限られた環境の中、日のエネルギーに火のパワーを加えるという最高の製塩法をやむなく取っていたのです。
「天のまなみ」は、塩という媒体のうえに更に三元エネルギーを載せた物ですが、その媒体である塩は、物理的に言えば、海水を天日によって乾かして造られています。その生命力を持った塩に、修練者の功力と神のお力添えにより莫大なエネルギーを加え、更に最高の気場に一定の期間置くことによって、エネルギーの増加と安定が図られています。正に、「塩という媒体に載ったエネルギーの結晶」と言えるでしょう。
この「天のまなみ」を「エネルギーの補給」に、「邪気のはらい清め」に上手な使い方で有効利用するようにして下さい。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.7.31~8.5 【気功講義|功法について】
風水 (1)~(6)
|
日之本元極の新宮修練場は、「強力場創りセット」の設置や、元々存在している龍穴の力で、素晴らしい場が形成されています。
その気の場は、修練のみにだけでなく、住居としても最高の場所を、更に強力にするため、皆さんが入ってくる玄関へのエントランス部分に左右二枚の看板を付けました。
それまでは向かって左側に、あまり気の流れに頓着せず、案内板を設置していましたが、その一枚の位置と角度を調整して出る気の流れを改善し、新たに右側にも入る気の流れを良くするために一枚微妙な角度で設置したものです。
これで修練場全体の場が大きく又改善されました。
次においでになる時は、道から敷地に入るところから、以前とどう違うか場を感じながら、入ってきてください。必ず、その良さが分かっていただけることでしょう。
又、感じられなかった方も、暫く修練場の中にいることで自分の体の変化に気がつき、その原因が場の違いで有ることがお判りになることでしょう。
用がない方でも、是非寄ってみてください。茶飲み話をしているうちにその場の良さを、自らの体が教えてくれます。
上述の手法は、典型的な風水の手法ですが、このように古来元極功法には、単なる気功法だけではなく、地理学、風水、漢方薬、武道、天文学、農学などあらゆる自然科学を包含しており、それを無形の形で伝達されているものです。
高山・新宮の錬功処の場を良くする為に、風水の手法を使って改善したことを先日ご報告しました。
その後、修錬に見える方々の中で、敏感な方には、ちょいちょい不思議なことが起き始めています。
1.玄関の扉の前に立って道の方向に向かい、目を閉じ天目にて見ると、真っ赤なエネルギーが入ってくるのが判る。(複数人)
2.同じく玄関に立つと、出入りする気のエネルギーで、身体が勝手に動き自発動が起こる。
(自発動とは、自分の意志とは関係なく、体内に入ってくるエネルギーで勝手に身体が動いてしまうことを言います)
3.気のエネルギーが上昇したことを、体感できた方、多数
今回の処理をする前から、風水の手法を超越した元極の方法にて、作成された「場創りセット」を設置したり、「天のまなみ」(水に大量の三元エネルギーを入れてあるのもの)や「海のまなみ」(塩に大量の三元エネルギーを入れてあるのもの)を度々撒いて、場を清めたりしていますから、相当と言うより、これ以上の場は殆ど存在しない程になっていました。
それを今回、風水の手法と併せて施すことで、更なる場の向上を狙った訳です。
では、実際にはどんな変更を施したのでしょう。
(つづく)

風水を超越した「場創りセット」の効果に、更に風水の効果をも上積みする為、数回に渡っていろいろな処理を施した高山・新宮修錬処。
その全貌を明らかにしましょう。
まず最初にしたのは、
1.両開き出来る入り口は、通常片開きのみの使用しかしません。構造上、玄関に向かって右のみしか開かないような構造でしたから、右の扉の開閉で出入りしていました。
この扉を工事屋さんに改造していただき、左開きにしました。
これによって、出入りの気の量が格段に大きくなりました。
(勿論全ての家がそうではなく、一軒一軒条件は違います)
2.玄関と、次の間に置いてある物の配置を大きく変更し、気の流れるルートを変更しています。
3.家の中に、適切な場所に水を溜めた方がよい場合がよくあります。風水では、場所がうまくいけば、風呂桶にいつも水を張っておいたり、大きなポリバケツに水を入れ最適な場所に置いたりすることがあります。
ここでは、「天のまなみ」を在庫する必要があることと、水を置いた方がよい結果を生むことが、上手く一致しました。
(日之本元極では、「天のまなみ」にパワーを入れた後、更にそのエネルギーを高める為、場の良い所に数週間置き、最大のエネルギーレベルに高めた後、出荷しています。)
このことは、それまでの「天のまなみ」保存場所を代えることにはなりましたが、「天のまなみ」にエネルギ-を入れることと、場のエネルギーをもっと高めることが良い方向に一致した希な例です。
(つづく)

次に施した手法は、ここから出ていく気の流れの改善です。
この場所の気の流れは、写真にあるように玄関から道路を見て、左側から入り、右に出ていくようになっています。
そしてもう一本、次の写真の如く、玄関に向かって右側からくるりと回るように入ってくる気の流れがあります。
4.この気の流れの中で出ていく気を変えるには、次の二枚のうち、上の写真のように、通常の風水では、屋根の軒先の下垂線が重要になるのですが、ここでは特殊な技法として、軒下に隠れてしまう位置ではありますが、道路に出て行く部分にパネルを立ててその流れの角度を変更しています。
次の写真のように、玄関からはあまり見えない位置なのですが、結構これが効果を上げています。
本当は、次の写真で現状が見えますが(ブロック塀より2~3センチ外に出ています)塀の外に約15センチ程、出した方が効果的には高くなるのですが、小学生なども通るので、もしも怪我などしないようにと現状に留めています。
(つづく)
一連の作業は、風水的に、出る気、入る気の改善をしているのですが、本来こうしたことは、羅盤(ローパン)という精密な磁石の付いた測定器で測って、風水師が角度を決めるのです。しかし、元極功法の修練者は、感覚でこの角度を決定できます。
そのとき、玄関先の軒下(下の写真を参照)に立って、感じてみます。青いラインの真下に立ちます。
さて、今度は入る気の改善です。
玄関に向かってアプローチの右側に立てた黄土色のパネルがそれです。
大きくしてみれば、少し微妙な角度で設置されています。この角度が大変大切なのです。
そして、何気なく駐車場との境にある柵に結んである紐。これも貴重なテクニックと言えます。

もっと効果を上げているのが、下の写真。掲示板の横にさり気なく立っているL字型の焦げ茶色の棒。
この高さと、上にL字に曲がった棒の長さ。この変哲も無いちょっとのことが、風水の妙技なのです。
これらを上手く実現出来たのは、このパネルを設置して下さった「オレンジ松井」 の父ちゃんのお陰です。パネルのコンクリート基礎をご覧下さい。(つづく)

場を最大限に良くする為、風水を超越して場を変換する「場創りセット」や、そこに上積みするようにいろいろな風水テクニックを駆使している、日之本元極の高山・新宮修錬処。
まだまだ、やりたいことは色々あるのですが、お金がかかりすぎたり、やるには面倒だったりして、まだ手が付けえられない所があります。既に世界でも希な気の場になって居るこの場所を、更に磨いていくように、時間をかけて改善していくつもりです。
通常の皆さんがお住まいの住居や、マンション、アパートこれらにもいろいろな条件があって、風水的にもどうにも出来ない所はいっぱい存在します。
そんなときは、何の建築的改造もせず設置でき、少なくとも平均的な場よりは遙かに高い気の場を創ることができる「場創りセット」を是非試してみて下さい。
自らの体調で、必ずその効果を確認することが出来ます。
本当に効果を出すことの出来る風水師を探すことは、日本国内では非常に困難なことです。
無理な手法、無駄な経費をかけることなく、日々の生活に高い三元エネルギーで潤いを与えられるよう、場について検討されることを提案します。(完)
|
2009.6.10 【気功講義|場創りセット】
農業用 場創りセット NEW
|
|
増田先生が、5月にバージョンアップした「農業用場創りセット」について説明されます。
☆*゚ ゜゚*☆*゚
゜゚*
「農業用場創りセット」についてあまり宣伝をしていませんでしたが、5月「場創りセットシリーズ」は、皆バージョンアップしています。
設置時期にきてみえる方は、チャンスです!

場創りセットの効能は、
1)エネルギーを供給する。
2)邪気を消し去る。
3)結界を張って、悪いモノの進入を阻止する。
というような事がメインですが、覚えてみえますか。
今回、この中でも結界の力が強くなりました。今までは、主に「魔」とか「邪」とかの形のないものに作用するように考えておりましたが、「農業用」のこともあって、実際害虫だの獣だのの害も多いと聞いて、少しでもそういったものの害が減らんかと思って結界の力を強くしました。
住居用の「強力場創りセット」も、素性の良くない人が来たくなくなるようにはしてあります。
世の中、100%ということは有り得ませんので、全てを排除できると言い切る訳にはいきませんが、随分違いが出来たとは、思っております。
昨日に続き、農業用場創りが他の場創りセットとどう違うのか、お話ししましょう。
基本的には特に、他の場創りセットと相違することは大きくありません。根本的に共通することがあります。
・気の場をよくすること
・陰陽のバランスをとること
それは、明確に大切なことです。
それに加えて、農業用で特徴的なことは、中に育つ植物の思考を重要とします。中の植物がどういう思考を持っているのか、何を指向し、嗜好とするのかが大切になります。

何を望み、なにを特徴としているのか。そういうことが大切なのです。
場を創って、結界が張られると
害虫などが、進入することが困難となります。
中の植物に適合した場となります。
複合して、植物をいくつも創った場合でも、場づくりを行うと
それぞれに、問題を解決することが、可能となります。
怠慢を通り越してすべてが、解決するのではありません。
ある程度の農地の耕しや、整地がなされるという条件の下に、農業場づくりが成果を発揮します。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.1.23 【気功講義|三元エネルギーの場(三元場)】
場が上がったということ(4)
|
今年になって、日之本元極のつくる場が大きくステップアップしたことに伴い、幸運にも初代・蕭道熈(しょうどうき)の神のお話をお聞きすることが出来ました。
ご自身が、先代から衣鉢をお受けになった経緯と、その時のお気持ちを吐露されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
早くから、あなたの存在を知ることが出来ていました。ずっと、今まで、日之本元極の行いを見てきました。田中の一軒家に住んで自己の内面をじっと見つめ続ける修練を続けてきた私達に比べて、あなた方の多くの人に接し対処する姿に感服するばかりです。
太一道開祖、一悟真人・蕭抱珍(しょうほうちん)の神から宿命的に私に幸せが与えられました。それは一悟真人が神になられてから、蕭抱珍(しょうほうちん)の神の生前、うち立てておられた無形の方術を行う力の全てと、無形のものを伝える術(伝音や伝訣の方法)を授けていただいたのです。
自己の修練についての悩みを感じたときに宿命的に、試練ともいうべき幸せを与えられました。このことによって、以後太一道、そして元極道、日之本元極と、その不思議ともいうべき大いなる力を、脈脈と伝え、発展させることが出来ているのです。
宿命的なものとはいえ、与えられた大きさに恐れおののくような強迫的な思いを抱きました。自分に、その気高い役割が果たせるのか、身を律して職務を果たすことができるのか?
この小さき存在を思う度に、それを恥じないようにせねばならないと 気持ちを引き締めました。私に、その役割が果たせるだろうかという思いよりは、その重責を何とか果たさなければならない、次々に申し送って反映させなければならない、喜びと共に偉大な任務に邁進しなければいけないと、強い決意をしました。
しかるに、私は、秘宝として、この功法を自己の中で発展させて、継承していくというのが役割でしたから、あなた方のように人に気遣う点については、難しくはありませんでした。
閉ざされた中で、黙々と自己の啓発と内面の鍛錬を怠ることが なければ、それは、どんどん発展するように創られていましたから、あまり、そのほかのことに煩わされることなく、修練と鍛錬と継承と発展にさえ気を配り、邁進できました。
その点では、あなた方のように、悩み多きことはなく、大きな喜びがありました。
ここでは、私の思い、私が初代で受け取ったことの偉大さを皆さんに伝えたいのです。
私は、坊主として修行する身として、遣わされてきました。
私が、受け取ることは、すでに宿命として決められていました。以後、全ての掌門人も同様に、それを紡(つむ)いでいくことは宿命として決まっています。
私の行いが、どうのこうのよりも宿命として与えられる立場にいたので与えられました。その宿命の重さに、私は、身を清めて生きていくことを決意しました。神から、与えられた立場を感謝して生きてきました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日之本元極功法に接することが、如何に幸運なことか、上掲、蕭道熈(しょうどうき)の神のお話でご理解いただけるかと思います。
これらのことを知ったからには、是が非でもこの功法を続け、世に役立て、自らの人生の研鑽に励んでいただきたいと思います。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.1.12 【気功講義|三元エネルギーの場】
場が上がったということ(3)
|
|
ここから改めて、「三元場の変化」について、普善禅師の神より伺います。
普善禅師は、太一道より「太一三元法籙」「太一無字真経」を受け継ぎ、「元極秘籙」「元極無字真経=十字真言」に発展させた方です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
講座においても貫頂においても、その一人一人が最大限に受け取れるような、場が設定されて、情報が渡されることになりました。
すべてが、一律に平等に渡されるのではなく、その者が一番多く受け取れるように、渡されるようになりました。平等に渡されても、皆流れ出てしまうのでは元も子もありません。
一人一人の調整がなされたうえで、個々が最大限受け取れるように、渡されることになったのです。
現在、日之本元極に縁を持って、修練に励んでいる者には、遡って渡されるべき力が与えられます。
2点目です。場の設定が大きく変わっています。
場の設定は、きめ細やかに設定されています。増田の意識に連動して変化します。功法の力が上がったことと同じように、全体的に場の変化があったので、変化の感じが分からないかも知れません。
いままでは、広い区域を設定して場をつくり、そのなかで、一人一人の場も調整するという方法でしたが、今後は、貫頂帯功を受ける一人一人をターゲットとして、一人一人に個別に作用します。
その場の中にいる、受ける意志のない者には、作用しないし、何も感じないということになります。
縁ある者が集まり、縁無き者は去る仕組みです。
これ見よがしに、自分の力自慢ばかりする者には、上達が与えられません。
病気の者は、すがる心に作用します。あるレベルまでは、一定に与えられます。
自己の利益のために力を使う者には、力が与えられません。きわめて、明確に一線が引かれたことになります。
新年から、錬功室で修練をしている時に、それぞれの人が、三門、毛孔竅穴が開いて、天地に繋がって修練出来ています。初心者、上級者を含めて皆同様に修練できています。これは、どうして可能になったのか?
を伝えましょう。
日之本元極の「座」が上がったことによって、日之本元極の「真価」が輝くようになりました。神の力によって、参加者のいちばん良い状態に設定されます。
それは、増田の意志に連動します。よって、講師の力量に関係なく、増田が許可した講師であれば、連動して作用します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ということですから、ご自分で毎日修練を積み重ねることに加え、なるべく錬功会・講座受講に足を運ばれることをお薦めいたします。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.1.11 【気功講義|三元エネルギーの場】
場が上がったということ(2)
|
|
1/3の高山新宮支部にての、錬功室解放時の場の違いに気付いたところ、お二人、いや二柱(ふたはしら)の掌門人よりのお話でした。
前回に続いて、太一道開祖、一悟真人・蕭抱珍(しょうほうちん)の神から、三元場の上昇についてお話がありました。
蕭抱珍の神は、道教「道徳経」や、墨家の「尊天教義」、儒家の「讖緯(しんい)の説」等から、「太一三元法籙」を伝教の本として築き上げられました。
太一道は20代の始祖の石碑が発見されていますが、実際には、27代28人の掌門人が引き継いできています。
何故27代28人の掌門人かと言えば、蕭抱珍の神を1代と数えないからです。0代とします。この太一道開祖は、この膨大なる教えや功法を造り上げましたが、生前、有形な物として受け継がれた物を除いて、次代に渡す術(すべ)を持たなかったのです。ではどうやって、太一道1代目・蕭道熈(しょうどうき)の神に、無形の功法や教えが伝えられたのでしょうか?
それは、一悟真人が神になられてから、それら無形のものと、無形のものを伝える術(伝音や伝訣の方法)を1代目に授けたから、以後可能になったのです。
上記理由を持って、一悟真人・蕭抱珍は、太一道第一代を名乗ることを辞退しているのです。
ご自身では、「無」の代とおっしゃっています。
日之本元極には、太一道27代28人、元極道5代5人(王家1人、張家4人)、計33人の掌門人によって、教えと功法が受け継がれています。
以下、蕭抱珍(しょうほうちん)の神からです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
座が上がったということ。錬功室の場が変化したということに気が付かれましたか?
それは、縁のある者に対して、強く反応するということが、一つ。
日之本元極の座の上昇に従って、錬功室の場が上昇したということが、一つ
個人の状況に適合して、個人の状態により合わせた場が顕著に提供できるようになった。ということが一つ。
それらの状況に合わせて、個々の力量以上に、三門や毛孔竅穴が、感応して動じるようになったということが、一つ。
排出された邪気の消去がさらに改善されて、場創りの効果が、より変化したということが一つ。それは、これまで以上に、邪気を排出させる効能が強くなったけれども、瞬時に処理が行われるようになったということです。
これらによって、力のある者は、力相応の修練が出来るようになります。下の者に合わせていても、力相応の修練が出来るということです。
新宮だけではなく、増田の意識に、この作用は連動します。つまり、増田が意念すれば、いつでも何処でも、その三元場は、実現するということです。
掌門人一同、皆々がより活用されるよう望んでおります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(普善禅師の神の話に続く)
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2009.1.10 【気功講義|三元エネルギーの場】
場が上がったということ(1)
|
|

あけましておめでとうございます。
日之本元極 ますだようぶん より、ご挨拶させていただきます。
今年、平成21年は非常に重要な年になりそうです。
初詣に関し、行く場所がいくつか指定され、スタッフのみならず、縁ある少数の方々が、お参りされました。その中の一人は、あまりに強烈なエネルギーをお陰としていただくことにより、調和に偏りが出て不調を訴えてきましたが、「『収式調和』を10回ほどしなさい。」というアドバイスで、数分後に快調な身体に上昇したというようなことまでありました。
また、1/3に行われた「錬功室解放」の修練では、昨年までとは大きく相違した『場』が展開されました。今後日之本元極の講師が執り行う講座、錬功では、このような『場』が常に実現されます。
昨日も、東京から酷いアトピーの若者がみえましたが、「胎息」のわずか1時間の講座受講と、30分の貫頂・帯功を受けることで、見違えるような肌になって帰って行かれました。
今までの『場』とどのように違うのか、どうして変わったのかについて、蕭抱珍(しょうほうちん)の神と、普善禅師の神にお聞きしてみました。
まず、太一道開祖、一悟真人・蕭抱珍(しょうほうちん)の神からです。
(次回に続く)
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2008.12.11 【気功講義】
電気、電磁波、電場、磁場等の影響について
|
|
表題に上げたものなどが身体に悪影響を与えているという議論は、いろいろな所でされていますが、その確たる結論は何処にも出ていません。それはどれもが見えないものであること、また一つのパラメーターで捕らえきれないということ、病気や死亡率との因果関係がハッキリと同じような傾向で出ないことなどが上げられます。
しかし傾向からいって、悪影響があることはほぼ明白でしょう。今日はこれらについて考えてみたいと思います。
議論を始める前に、その対象物であるものが何であるのかをまず明確にしておく必要があります。
電気:通常のとらえ方では幅が広く、電気力、電気伝導など種々の電気現象の元になるものと考えられています。電荷、電流、または電気エネルギーを指して言っています。
ここでは、他の電場、磁場、電磁波などとの差別化をする為、電荷の移動(電流)というように定義しておきます。
電磁波:電波、光、エックス線、γ(ガンマ)線などの総称。電磁波の内、3000GHz以下のものを電波という。
電場:電荷に電気的な力が作用する空間
磁場:磁石や電流の周りに生じる磁力の働いている空間
電磁場:時間的に変化する電場と磁場は、互いを誘起しあって存在します。よってその両者を総称してこう呼びます。=電磁界
電気、電磁波、電場、磁場等が人体に影響を及ぼすのは、主に二つの原因があります。
一つ目は、他の場所でも繰り返し述べていますが、「全ての事象で、事柄が動くときには、無形のモノが動いて、有形の事柄がその後で作用する。これが、宇宙の法則である。」ということです。(こちら を参考にして下さい)
例えば電気においても、測定可能な電流、電圧などの事象だけではなく、それに付随して発電時におきる邪気や汚物の無形成分が運ばれているということが起きています。
電線によって運ばれてくるのは、電流のみではないということです。
ですから、高電流、高電圧を搬送している高圧線には、発電に至る原子力の人体への影響に関わる邪気や、火力発電であれば燃やした物から排泄されるガスや、燃えた後の残渣の人体への影響に関する邪気が大量に搬送されています。水力発電に関しては前二者に比べ、圧倒的にその影響は小さいものの、ダムのヘドロの影響などが運ばれます。
各家庭の電力取り入れ口(配電盤など)に、カードL等を取り付けることによって、これらの無形の悪影響は、その家の中では殆ど取り去ることが可能になるでしょう。
しかし、前出の高圧電線などの近くに家がある場合、その影響は大きく、「場創りセット」を一定期間で取り替え取り替え設置せねば(場創りセットは効力が1年から1年半位です)その影響から脱することは不可能だと言えます。
もしそうしたとしても、その効果は敷地内だけですから、自宅周りを通るときなどに影響を受けることは必至です。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
2008.12.08 【気功講義】
睡眠中の邪気の排出について
|
|
人が夜間、睡眠中にあるときと、日中活動しているときでは、邪気の排出において差異があるかについて考察してみましょう。
一部の敏感な方々は既に体感していらっしゃるように、人は睡眠中の方が明らかに多くの邪気を排出します。
身体の条件からいうと、人は睡眠中に副交感神経が優位に立ち、内臓へ血液がたくさん配分されます。血管がゆるみ、血液の循環がよくなります。そのような身体の仕組み、副交感神経と交感神経の交差によって、夜眠っている間には物理的にも、物質的な身体の条件でも、身体から無形の悪い物が邪気として、また有形の悪い物が汗などとして排出されやすいという条件が設定されています。
さらに付け加えて、気の状態でいうならば、気のエネルギーレベルはあがり、それぞれの焦(上焦、中焦、下焦の三焦と、頭焦、左腕焦、右腕焦、左脚焦、右脚焦の五焦)は、大きくふくれあがるような形状を示します。そうして各臓器の上に被いかぶさるようになります。
ふくれあがったようなエネルギーレベルの高い各焦によって、排出のためのエネルギーが補給され、各毛孔竅穴によって邪気が排出されることになります。

ほとんどの例では、元極功法の影響を受けている者たちは、三門から排出することがある程度可能です。
貫頂や心身共鳴神法で、毛孔竅穴や三門が開発されているのです。
誰しも、邪気を排出する力は、夜間に増えますが、元極功法経験者のようではありません。
一般の元極功法未経験者では、毛孔竅穴からの排泄というよりは、毛穴より汗という有形の形で邪気が排出されます。
講座を受けている者では、悪い物・有害な物は、毛孔竅穴から無形の存在として排泄されます。講座を受けていない者は、有形の汗として排泄するのです。
また受講者は、無形でも有形でも排泄する作用が強くなります。
排泄することが出来るなら、身体の様子が良くなる、改善するということに繋がっていきます。
しかし夜間に、副交感神経が優位に立つという事柄は、無形の焦が変化することの結果であるということをはっきりと申し上げておきます。
全ての事象で、「事柄が動くときには、無形のモノが動いて、有形の事柄がその後で作用する」これが、宇宙の法則です。
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
|
アフリカの乾燥した大地が育てたフーディアについてお話ししましょう。
この植物は、最近ダイエットに効果があるということで脚光を浴びています。そして希少価値から、お値段も結構張る物となっているようです。
フーディアの持っている特徴は、特別に珍しいと言うに当たりません。アフリカの乾燥した大地に育った植物には、それらと同じような性質の物質を多かれ少なかれ持っています。フーディアは、特徴的に多いという性質があるというだけです。
これらの植物は、動物に好んで食べられることによって、その種が拡がっていくという性質を持ちますから、動物にとって非常に腹持ちが良いという特性を備えることで、引き続き定期的に食べてもらえるという「循環させる特性」を持っているのです。植物と動物の関係によって、その特徴が創られたということに過ぎません。
ががいもの仲間ですが、より食べやすく目に付きやすい形ということで、地下に存在せず、食べやすく地上に存在するのが特徴です。地上に顔を出した状態で存在しています。乾燥して食物が不足し、なにも食べるものが無いところに住む動物たちの恰好の食材となるように、植物の特性が創られました。
つまりは、この植物を食べると腹持ちがよい感覚がするということです。
血糖値を下げないで一定に保つような、そういう働きをします。しかし感覚的に腹持ちがよいという状態がおきるだけで、身体の中の脂肪を使ってエネルギーに、転換させていくことについては、物事は普遍的に変わりません。血糖値が下がらないので、常に満腹感があるということです。つまりは脂肪を能率良く提供していく能力が高いのです。皮下に貯めずに、血液の中の血糖にして供給して出していくことに優れています。
それでは、フーデイアは内臓脂肪に対してはどう作用するのでしょうか?
内臓脂肪は、病的に付いた脂肪でなければ、消費されることとなります。皮下脂肪と同じように内臓脂肪も消費されることとなります。優先されて消費されるのは、比較的後から付いた内臓脂肪ですから、内臓の脂肪が減る事実はあります。
しかし、病的に付いた脂肪。つまり内臓の機能が衰えて、内臓に染みついたように増えている脂肪、組織の中に入り込んでいる脂肪や、遺伝的な体質があって、先天的に常時脂肪を取り込んでついたような内臓脂肪については、フーデイアで減らすことは出来ません。
内臓の機能の低下によって、脂肪が付いた物や病的な原因によって内臓に脂肪がついた以外の内臓脂肪については、皮下脂肪と同じように消費されることになります。
つまりメタボリックシンドローム対策としては、予防としてある程度効果的ではあるものの、既に病気的になった内臓脂肪には効果がないということです。
もちろんこの作用を、ダイエット効果があるといえばそうですが、そういう使い方が好ましいとは思えません。つまりは乾燥した大地が、空腹に耐える動物にとって役立つ食物として育ててくれた「恵み」なわけです。植物と動物の相関関係の結果の植物ですから、この原理をダイエットに応用するのは危険です。効果はありますが、危険なことです。
空腹感と満腹感が相互に訪れて幸福感を得ることが食物の興味関心であり、喜びもあるのですから、むやみに操作することは、よくありません。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
|
快食、快眠、快便というのは、人の求めている快楽の摂理です。これらのことが上手くいくことが健康の元であるという錯覚も起きてくるところです。
人は常識にとらわれて、その常識の中で生きている生き物です。そして集団の中の多くの者達が同じ行動をすることが常識であり、それが自分にとっても良いと思うという錯覚です。烏合の衆の中で生きていくことは、安心感があります。その安心感が集団の中への所属性向を強めています。
そのことが文化の発達、人を収めるという生活の生業に、必要なことではありました。このことによる発展が、今の社会です。社会の中の安定は、人と同じことを繰り返すという感覚の中で生まれています。人それぞれが異なることを好み、違うことをしては、まとまりが付かないのです。
しかし物事の斬新な発想は、ひとたび今の常識的な行動を止めて、その中身の奥深さを感じてみることに重要なことがあります。食べ物についても同じことです。
すでに、日之本元極が功法の中で説(と)いているように、肉食や動物性のタンパク質というのは、人の身体に適合しないばかりではなく、修練を積んでる人にとっては、必要が無くなってくるという食品です。その食品を身体に取り入れる場合には、肉の波動を身体に適合させて、入れなければならないというような能力の必要性も出てきます。
食べ物が、必要であるかないかということを考えたとき、食べる楽しみを失ってはいけません。現在のテレビ放送各社が煽っているような、食事の欲ばかりを追求することはありません。しかし多くの歴史が示しているように、大勢の者が集まり、同じ物を食べる。語らいをして、心を一つにしていく催しは、必要なことです。人が気持ちを通じ合い、気持ちを一つにしていくためにも必要なことです。
古来「直会(なおらい)」という方法をとって、神と人が話し合い、感じ合ってきたのも道理な訳です。
そうするならば、ものを食べない。という事柄を目的に掲げるのではなく、結果的に食べなくてもすむ。食べずとも生存することは可能であるという考え方を取った方が、より自然です。日之本元極の功法をもってするならば、それらのことが可能であるのです。
「人は、食べずに生きることが可能か?」
という問いに答えるならば、それは十分に可能であると断言出来ます。
不食(食事をしなくて良いこと)は「目的」ではなく「結果」です。
何人かの上級修練者では、もう既に実感していると思いますが、肉体は食べなくても滅びることはありません。「階ふた」以上の方法を実践できる者であるならば、それは天地のエネルギー、地と太陽、月、自然のエネルギーを受け取って、身体に定着することが可能ですから、物理的には何ら食べなくても飲まなくとも、無形のモノで補っていけるのです。
しかし重ねて申し上げますが、食べる楽しみを自ら封印することはありません。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
緑茶は脳梗塞や心筋梗塞の発生を防ぐか |
中日新聞 070505朝刊に
「緑茶は脳梗塞を防ぐ。一日5杯以上飲むものは、脳梗塞や心筋梗塞の発症が少ない傾向にある。」
という記事がありました。
脳梗塞や心筋梗塞は、血管が老化して起きる循環障害です。
その原因は、血管の問題と動脈硬化を起こしやすい食事の問題とがあります。食事で取り入れられる成分の中でも特に脂肪は、一定量を超えた場合、悪しき原因となります。
緑茶を飲む者達の食生活には、特徴があるのです。緑茶を飲む習慣のある者は、和食が中心で肉食が少ない傾向にあるでしょう。そういう食生活習慣の土壌の上に調査が行われていることも無視できない要素です。
緑茶があたかも効果が、あるというように結論づけるのは早急です。
しかし、緑茶には、ビタミンCやビタミンA、カロチンなど皮膚の抵抗性を保つような物質が、生きた形で保存される特徴があります。ですから、生きた形でビタミンが壊れることなく吸収されやすい形で、身体に取り込まれます。
特に食事の時に取られる飲食物は、身体が取り込みやすい体制を取りますから、食事と一緒に食べる飲み物の成分は効率よく摂取されることになります。
健康飲料という形で、大量の飲料を飲んでも、身体の体制が栄養分を吸収するには、充分でないこともあります。身体が水分を要求しているときには、優先的に水分を取り込みますが、食事の時以外には、吸収の度合いが変化して吸収を効率よくするという形態が取りにくいので、食事の時に摂取する飲み物である事は効果をより上げている一因です。 …
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
頭の良くなる食物の栄養について
「もとつきわみの水と塩」で脳を活性化 |
昨年末に、以下のような新聞記事に目がとまりました。
愛知県特産の八丁味噌を食べると頭が良くなると言うのです。
「八丁みそで頭よくなる」名古屋市大大学院教授らマウス実験
(2007年12月30日中日朝刊)
愛知県岡崎市に伝わり、独自の製法で知られる八丁みそに、脳の学習能力を向上させる効果があることを、名古屋市立大大学院の岡嶋研二教授、原田直明准教授らのグループが、マウスの実験で突き止めた。岡嶋教授は「この地方が戦国時代に三英傑を生み、岡崎出身の徳川家康は天下を治めたのも、八丁みそと関係があるのかもしれない。ぼけ防止の効果も期待できる」と話している。
岡嶋教授らは、5匹ずつのマウスに八丁みそと普通の豆みそ、みそ以外のえさを4週間食べさせた。その後、それぞれのマウスを直径120センチの円形プールの中で泳がせ、直径10センチの丸い台を探して到達するまでの時間を計測。その結果、豆みそと普通のえさを食べたマウスに比べ、八丁みそを食べたマウスの到達スピードは3日目以降急激にアップし続け、目的の台を探し出す学習能力が向上していることが分かった。
脳の学習能力をつかさどる海馬の神経細胞を活性化させるタンパク質「インスリン様成長因子-1」(IGF-1)の濃度をはかると、八丁みそを食べたマウスの方が、豆みそや普通のえさを食べたマウスに比べて1・8倍に増加していることが分かった。
知覚神経が刺激を受けると、神経末端からアミノ酸の複合体「CGRP」が放出され、CGRPが若い細胞に働きかけIGF-1の生成を促進するというメカニズムが分かっている。
豆みそと八丁みその製法は発酵まで同じだが、八丁みそはその後、約2年半、石積みしたたるの中で熟成させる。岡嶋教授は「熟成期間にIGF-1生成を促進させる何らかの成分ができているはずだ」とみて、成分の特定を急いでいる。

八丁味噌をたべたネズミは、学習効果が高いという新聞記事に関連し、食物の栄養素が脳に利用されることについてお話しします。
この新聞に出ている事柄は、一面的には事実です。
食べることで功利的に脳の活性化を図ることが出来るような物質は、この八丁味噌のみならず他にもたくさんあります。
さすがにセンセーショナルなことだと騒いでしまいがちです。
この記事に書かれていることは嘘ではありません。味噌の熟成期間によって波動が細かくなり、タンパク質の一部分が、からだにとって吸収しやすいような波動の細かさに変わるのです。
その結果、身体になじみやすく、ホルモンを刺激しやすい、身体の中に吸収されやすい状態となった結果だと言えます。
このことから言えるのは、からだによい食物は、決してこの一点のモノだけではなく、長い時間を経過した伝統的な食物や調味料には、これらの作用が経験的に認識されていて、それを継続して使用したことによって、日本の文化としての調味料は、からだにとっても脳の活性にとっても有効であったと言えるのです。
しかし一点のみに捕らわれていてはいけません。身体にとって食べ物の中に、身体を活性化して元気にしていく要素は、たくさん含まれています。それを一点に絞って「効果がある」とするのは、たいへんな誤りです。
日本の風土に根ざし、自然で伝統的に生まれたこの土地でできた食物、そしてこの土地の季節の食べ物には、伝統に根ざした結論があります。
風土から生まれた食べ物は、健康のためにも脳の活性化のためにも有効であり、自然に反して有害な添加物や季節感のない食べ物は、からだに悪いと断言出来ましょう。
良いモノの一点のみを見つめて、一つだけをすくい上げて、それで健康になろうというような考え方が根底にはあります。現代では、その発想で医薬品が開発されています。
飛びつくようなビックな話題を作り上げるために、これらのニュースは取り上げられています。間違いではありませんが、気をつけたいところです。自然のモノが、長い期間かけて、発酵醸造されるその間に、物質の波動が細かくなります。そしてそうした波動の細かいものが吸収され易いことは、全てではありませんが、的確だと言えます。
日之本元極で三元エネルギーを添加した「もとつきわみの水」「もとつきわみの塩」には、それらを入れて作った料理や飲料に、上記のような波動の細かさを付加します。この「もとつきわみの水」「もとつきわみの塩」を毎日の生活の中で、使用常用することで健康のみでなく、脳の活性化にも大きな変化をもたらすと云うことです。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
もとつきわみの塩の使い方 |
通常市販されている塩に比べ「もとつきわみ天日塩」は、膨大なエネルギーが付加されています。そのエネルギーの働きにより、邪気排泄、はらい清め、エネルギーの供給などの力がある訳です。それに加え、この度追加された「もとつきわみ乾燥塩」には、更に火のエネルギーが付加されています。今まで通り、日のエネルギーが付加され、そして、それぞれの作業過程にまで遡って、火のエネルギーが付加されています。この塩は、邪気の排出作用が極めて効果的に、働いています。それは、従来の「もとつきわみ天日塩」の3~5倍程度の邪気の排出作用があります。また力も強い上にエネルギーの波動が細かく、身体の内部に浸透するような作用が強くなっていますから、邪気の排出も効率よく行われるということになります。
身体の中に入りやすい、浸透しやすい、そして、押し出す力が、大きいということです。塩のエネルギーの持つ波動の細かさは言うに及ばず、その細かさ故に、邪気対策に優れています。この「もとつきわみ乾燥塩」の味としては、塩辛い印象がありますが、邪気排出効果が高まったためのエネルギーの影響です。「もとつきわみ天日塩」の素晴らしい味と比べてしまうと、味が落ちると感じるでしょう。甘み成分、旨味(うまみ)成分ということを活かして調理に使うならば、従来の「もとつきわみ天日塩」の方が「旨味」としてはおいしいと言えるでしょう。
しかし、邪気の排出や邪気を消す効果をねらって調理に使うのであれば、それは、どちらを使っても構わないわけです。たとえば、塩で揉んで苦みを消すなどの調理、野菜の灰汁(あく)を抜くというためにゆでる場合、貝や魚の生臭さを消すために塩で洗うなどの場合、消毒薬の付着が心配される野菜を洗うとき等には、「もとつきわみ乾燥塩」が優れているでしょう。
その他、料理に使う場合のほとんどは、火が使われていない塩=「もとつきわみ天日塩」が適しています。相手の味を引き出すような力があるからです。 梅干しなど漬け物や保存食、味噌汁、やスープの味付け、生のまま味を引き出すために魚に振る塩は今までの「もとつきわみ天日塩」の方がおいしいでしょう。
一般的に調理に使うには、「もとつきわみ天日塩」の方が料理を引き立てます。もちろん、好みにもよるでしょうから、使い方は皆さんが工夫していただければ構いません。
もう一つ、その方の体調によっても、受ける味の印象が違います。味覚と臓腑の働きには関連性があるからです。
また、修練によって「塩」の「塩辛さ」の味覚が変わっていきます。体調が改善すると、或いは体調が増進すると、「刺すような塩辛さ」や「苦み」が、「旨味」に変化します。エネルギーに満ちた「塩の魅力」を味わっていただきたいと思います。
<「もとつきわみ乾燥塩」を使って、場を清める方法>
場を清めるためには、その場に撒くのが効果的です。四隅に置いておくのも効果的ではありますが、一番良いのは、撒く方法です。家の中に気を運ぶ、家の中に邪気を入れない、という意味では、玄関や掃除の出来るところに撒いて使うことが一番良いと思います。そのほかに、「もとつきわみの水」に入れて、溶かして使う方法も有効です。こうすることによって、撒くだけではなくスプレー容器に入れ「もとつきわみの水」と共に室内にも噴霧できます。
塩で洗う方法もあります。洗い流すときに塩を使って洗うのです。
邪気の多いモノを塩で洗う。洗濯の時に、塩を使う。また、身体を洗うときに塩で洗う。そういう方法も有効です。「出毒素風呂」等のところでご紹介しているように、もちろん風呂にいれることも有効です。
また、塩を身につけることも一つの方法です。火のエネルギーが加わった塩ですから、そのエネルギーは莫大なものです。それを常に携帯するようにするのです。紙の袋や紙で包んで身体に着けるだけです。封筒などに入れるだけで構わないのです。
何も形式を整える必要はありません。それを、どんどん身につけて邪気を吸い取って交換していくといいのです。エネルギー補い邪気を取ることに優れています。持つだけで痛み止めにも使えるでしょうし、重症の者の痛みをとるためには、塩で足湯をすることは昔から行われていた方法です。炎症を鎮める、痛みを取る。弱っているところにエネルギーを補充する。痛いところに貼り付けると暖まる。暖まることで、炎症が静まる。そういうことは、充分に効果のあることですし、歴史的に検証されていることです。
しかし塩には、刺激性もありますから粘膜や皮膚の弱いところに直接当てないほうがいいでしょう。全ての場合に、この方法が良いとは限りません。
このエネルギーのある塩は身につけておくことで、効果を現します。けれども、単なる民間療法と同じであるというレベルで考えてもいけません。敏感な方々であれば、この「もとつきわみ乾燥塩」の効果は明らかに分かるでしょうから、場づくり、邪気消し、風呂用には、この「もとつきわみ乾燥塩」の方が優れていると実感して戴けるかと思います
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
海水から造った塩について |
塩には、いろいろ種類があります。海水から造ったもの、その中にもいろいろな製法があります。塩田における天日製塩法、イオン交換膜製塩法、揚げ浜式製塩法等。また岩塩や、海が堰き止められ湖となって、それが干上がって塩湖となり、出来た塩等・・・・。世界で使われている塩の、約40%が海水から造られるもののようです。我々島国に住む日本人の感覚では、ほとんどが海水から造られていると思えてしまいますが、意外です。

そして日本の塩自給率は約15%と、お寒い限りです。
岩塩はどうして出来上がったかと言えば、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものな訳です。つまり元をただせば塩の全ては海水由来ということです。岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれ、溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出します。この製法は不純物が混じらないので、食用として使えます。他方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、ほとんど不純物が混じっていることと、硬いので食用として適しません。
海より造る天日製塩法については、海水を塩田に引き込み、複数の水田を巡回させながら、太陽と風で海水を濃縮していき,中心にある最後の採塩池で自然結晶した塩を収穫します。商品として売るには、収穫されてから1-2年寝かされて水分をとった上で販売されることが多いようです。
岩塩が塩資源として存在せず、平地が狭く雨の多い日本では天日塩の生産にも適していません。そのため、古く奈良時代より濃い塩水(鹹水)をつくり、それを煮詰める、という極めて製造効率の悪い製塩方法が取られていました。よって海外の市販塩との物理的品質差と、価格差が大きかったといえます。
そこで濃い塩水(鹹水)をつくる方法の技術改良というより、製造コストの低減法(奈良時代からの揚浜式製塩法→江戸時代の入浜式製塩法→昭和30年代の流下式製塩法→昭和47年頃から現在まで続く最低の質の塩を造る製塩法=イオン交換膜製塩法)が開発されてきました。イオン交換膜製塩法が何故最低かと言えば、何のエネルギーも存在しないように造り上げているからです。
これら塩の製造由来の中で、何がよいかと問われれば、「海水から造った塩」といえるでしょう。海水から創った塩が優れているわけは、海で生き物が連鎖し、連鎖した生き物が、また新しい生き物を産み出すという、「生物が連鎖して生き物を産み出す力」がその塩の中にも機能してあるからです。その海の中からとった塩は、「生き物」が食べる塩として優れているのです。眼に見えないものの「生命」が溢れているのです。
かたや岩塩や塩湖の塩は、化石のようになる過程の塩であったり、化石のような息絶えてしまった塩の塊なわけです。もちろん食べても問題はありませんし、物質として有効なミネラルも含まれていますので、物質的肉体にとって有効なこともあります。
しかし、どちらかというと海で育まれた生命力にあふれる「塩」に明らかな軍配が上がります。海水からとった塩は、人の身体に一番適した滋養と無形のエネルギーをもたらすのです。
海水は塩分といえばそれまでですし、海水も岩塩も同じ成分だといえば物質的にはその通りです。しかし海水には、目には見えませんが、命を産み出す大いなる生命力のエネルギーが含まれているということを見逃さないようにして下さい。
日本に岩塩が存在しないということは、資源がないと嘆くよりも、寧ろ代々生命力の備わった塩しか食べることが出来ないように神が計られたと考えられるのではないでしょうか。そして前述のように、日本では天日塩の生産にも適しておらず、極めて製造効率の悪い製塩方法で、鹹水をつくり火によって煮詰めて製塩していました。日本では、この限られた環境の中、日のエネルギーに火のパワーを加えるという最高の製塩法をやむなく取っていたのです。
「もとつきわみの塩」は、物理的に言えば、海水を天日によって乾かして造られています。その生命力を持った塩に、修練者の功力と神のお力添えにより莫大なエネルギーを加え、更に最高の場に一定の期間置くことによって、エネルギーの増加と安定が図られています。正に、「塩という媒体に載ったエネルギーの結晶」と言えるでしょう。今回、今までの「もとつきわみ天日塩」に加え、日に火のエネルギーを加えた、「もとつきわみ乾燥塩」をお届けできます。「エネルギーの補給」に、「邪気のはらい清め」に上手な使い方をするようにして下さい。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
住と気功
北京で行きたい場の良い所 |
来年は北京オリンピック。観戦を計画されている方もいらっしゃることでしょう。それでなくとも最近は中国にいらっしゃる方が増えました。今年になって私の周りでも3人4人と行かれた方を数えることが出来ます。日本人がよく行くのは上海、西安、そして北京です。私は既に二十数回中国を訪れましたが、北京にはまだ数回しか行っていません。でもその経験の中から、北京を「場の良い」という観点で見て、少しご紹介をしてみましょう。
北京は計画的に創られた町です。もちろん風水の本場ですから、自然の場の良さは第一に考慮されています。そして神との関係を保つため、季節、季節の祭壇を設け祭ることによって、豊作や国の安らかなることを祈ったのです。
それらの祭壇は当然、神が降り立たれるところですから場の良いところに設定されていました。そして皇帝の住まうところも良いところが選ばれています。
皇帝の住まう所、つまり故宮を中心として元々爽やかな、気に溢れた、なおかつ生き生きとした活動的な所に町がつくられました。
そして故宮の南に天壇、北に地壇、西に月壇、東に日壇と、故宮を守るように周りを囲んで設けられています。更に天壇の直ぐ西隣に農業と薬の神といわれる神農を祭る、先農壇が造られました。これらの壇では、季節季節に捧げものを上げたうえ、丁重に政(まつりごと)が催されてきたのです。
神々もそれに応え、それぞれの壇に役割役割の神が存在し、国を守ってきていました。故宮にも代々の皇帝を守る神が存在しています。
私が二度目に北京を訪れた2001年、短い滞在の中でガイドに頼んで五つの壇と故宮、そしてさらには道教の総本山である白雲観と、皆の希望である万里の長城に行きました。
天壇、地壇はともかく日壇、月壇、先農壇などに行く人はほとんど無いようで、ガイドも場所はおろか、その存在すらも知らない有様でした。先農壇は学校の片隅、体育場の陰に邪魔くさそうに残されていますが、神を祭るべき場所とは到底考えられないような扱いでした。また、それぞれ日壇公園、月壇公園という名は残っていますが、日壇は草むらの中に存在し荒れ放題。月壇などは取り壊され、テレビの送信アンテナが建っていました。これらの場所は、場の良さは感じられるものの、既に神の存在はありませんでした。
地壇公園の中、壇の周りは更に高い塀で囲まれ、そこに一歩足を踏み入れると全く別の空間のような強烈なエネルギーを感じたものでした。そこで暫く歩けなくなる同伴者も居たほどです。地壇の神の及ぼすエネルギーでした。ところが、それから3年後、4度目に北京入りしたときに、地壇公園を訪れ、仰天しました。公園内で何かの見本市が開かれていたのです。壇の上に無惨にもテントが架けられ、商品の販売が行われていたのです。もちろん神々はおいでに為らず、天壇へとお移りになっておられました。その場も空しく、荒れた欲の場へと変わっていました。
このように場というのは、元々の自然の立地、神の存在、人の想念や思いによって決定されます。人の想念により変化するのは、悪い方向のみで良い方向にはほとんど変化がありません。
現在、お薦めできる北京の良い場とは、観光地としてその存在を保証されている「故宮博物館」と「天壇」です。故宮には、前述のように代々の皇帝を守る神がまだいらっしゃいますし、天壇には、北京中の他の神々がお集まりになっていらっしゃいます。双方とも歴史的な建築物も素晴らしいことはもちろん、広い国土の中と、長い歴史の蓄積の中で選定された格別の場所と言えます。
故宮博物館=紫禁城の周りは、元来広く非常に場の良い所でした。しかしその歴史の中で、天安門事件のように、生活の改善を要求する人民が無惨な最期を遂げることが繰り返されてきたため、その残留怨念が染みついた悪い場へと徐々に変わってきてしまいました。正に「門前払い」が繰り返されてきたのです。更に、故宮の中では、スターバックスのコーヒーが飲めなくなりました(大笑)。
私は何度も天安門の前まで行きましたが、終に車から降り立つ気持ちには為りませんでした。
北京には先程述べた白雲観のように未だに修練を積み重ねている多くの道士が寝起きする道観や孔廟などが存在しますが、そこいらにいた神々も全て天壇へとお移りに為られています。時代の移り変わりだけによると言って良いものなのでしょうか?
月壇公園より少し南に下った所にある白雲観は、3,4年前から周辺の工事によって様変わりしてきました。これも北京オリンピックへの準備の一環なのでしょうが、趣のある道教グッズの販売店などが立ち退き一掃されて、道観の前は広い舗装路が出来上がっています。しかし周りをブラブラと歩いてみるといくつかの道教にまつわるものを置いている店が移転して点在します。以前のような良い場は期待できませんが、線香の馥郁(ふくいく)たる香りのように、道教の古くからの歴史を感じてみたい方は足を運ばれるが良いでしょう。
また地壇公園から安定門をくぐって南に入った所に首都博物館=孔廟があります。中国のもう一つの流れ、儒教に触れることが出来ます。
熱心な修練者の多くは、動物性の食材が食べられなくなるものですが、天壇の北西角から歩いて数分(天壇自体が途轍もなく広いので、南天門などからなら必ず車で行くこと)の所に北京でも有名な精進料理店=功徳林素菜館があります。有名な割には、日本人には「こんなもんか?」という店がまえの感じですが、中華の精進料理を試したい方やベジタリアンにはお薦めです。
私個人として、北京一番の「気の場」のお薦めは、天壇の「祈年殿」といえます。場というものは、時代により、人によっても変わります。近々お出向きの方は、是非「故宮」と「天壇」にお立ち寄りになってみて下さい。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
住と気功
ゼロ磁場についての追記 |
|
ゼロ磁場であるためには、陽と陰との和合が必要です。陽と陰とが和合して、バランスが均等に保たれているときに、ゼロ磁場が確立します。微妙な陽と陰とのバランスが極めて均等にバランス良く保たれているという条件がゼロ磁場になります。そして、均等に保たれているが故に、その放たれるエネルギーは、膨大な量になるということです。その膨大な量のエネルギーは、天地に繋がり、天のエネルギー、地のエネルギー、両方から最大限のエネルギーが注がれることになります。
以上のことが、太極図、元極図、もとつきわみ図上では説明されましたが、自然の中で土地がゼロ磁場となる条件については、佐々木教授も元極功法でも説明は未だされていません。
自然の中でゼロ磁場に必要な条件というのは、「水(すい)、雲(くも)、火(か)」つまり、自然の要素が三つ揃っているというのが必要です。水と風と火の力です。その三つの力がその土地の条件の中に整っているということが必要になります。それらが、自然界の神々が力を貸すということでもありますし、地上の条件として水があり、風が貯まりやすく、火の勢いを受ける土地柄であるということが必要です。火の勢いというのは、具体的に燃えるという意味合いを示しているのではありません。燃えるということではなく、太陽のエネルギーが燦々(さんさん)と注がれて、具体的に燃えるほどのエネルギーを蓄えている大地であるということです。物陰に隠れたところではなく、太陽のエネルギーが、燦々(さんさん)と注がれている大地であるということです。そして、大地は、溶岩がもたらす一度燃えた大地であり、火のエネルギーを存分(ぞんぶん)に含んだ大地である。それらの三つの条件と陰陽の均等なエネルギーがもたらされたときに、ゼロ磁場が完成します。
そうした自然の恵みにより完成されているゼロ磁場の典型が中国蓮花山です。張志祥先生が初めて蓮花山を訪れたとき、それはそれは火の吹き出るような、とても熱い、そして暑い思いをされたそうです。地下には、マグマの吹き出し口が地上に吹き出すように、そして水、風、それらの自然の条件が整備された極めて場の良いところだったと聞き及んでいます。
このように自然に造られたゼロ磁場にも、「太極図」を構成しているゼロ磁場、「元極図」が出来ている所、そして「もとつきわみ図」を構成できている場所と、そのエネルギーレベルによって分けることが出来ます。「もとつきわみ図」を造っている様な巨大なエネルギーを持つ場所というのは本当に希(まれ)と言わねばなりません。更にほとんどその存在を確認することの出来ない「もとつきわみ球」を構成する様な立体的なエネルギー空間も存在するということをお伝えしておきます。
しかしゼロ磁場は、今まで述べてきた自然に造られたものだけが存在するのではありません。陰陽の気が調和、和合する場所がゼロ磁場な訳ですから、人工的に作り得ることも可能と言えます。神のお力添えを戴いた上に、もとつきわみ図の原理などを応用して、それらは可能になります。日之本元極の「場創りセット」は、そうしたことの応用から成っています。また更に、自然が創ったゼロ磁場ではなく、人工的に創ったものでもない、神々が意図的に構成したゼロ磁場というものも存在しています。
それらのゼロ磁場や龍穴を内に持つ土地は、通常の家や土地と違い、風水で言う入る水(気と考えていただいて構いません)の優劣、出る水の優劣によってその気の場が変わる訳ではありません。その内部に気の出口を包含する訳ですから、外に開口しておく必要がないのです。むしろ周囲を囲い、気が漏れることを防ぐ必要があります。蓮花山に行かれた経験のある方は、思い出して下さい。何回もかけて、蓮花山はその敷地を広げてきましたが、いつもその外側には2メートルを超える様な塀で囲われていました。裏門である「道徳門」は、車が通行するとき以外は閉じられています。表門である「元極門」は、観光地となってしまった現在では開いたままですが、以前は都度都度、閉じられていました。内部にある元極図を構成するゼロ磁場や、いくつもある龍穴からのエネルギーを散らしてしまわないための対策です。
ゼロ磁場とは、陰と陽が絶妙に調和した所から、まるで湧き出る様に生発されるエネルギーの存在に気づき、物質的視点から命名された言葉です。しかし、それは「元極図」や「もとつきわみ図」といった更なる大きな原理の一部を見たに過ぎず、一面的な命名であったと感じています。この言葉の位置で留まることなく、「もとつきわみ図」という大きな原理の理解と、修練によってこのことの実際的な応用を、多くの方に可能としていただけるように願っております。
日之本元極 亀仙人
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
住と気功 ~「場」~
もとつきわみ図とゼロ磁場 |
|
電気通信大学名誉教授の佐々木茂美氏は、著書『ここまで判った「気」の科学』などの中で、張志祥先生や元極学を紹介しています。教授は、数回元極学の基地である蓮花山に訪れ、元極堂のことや、元極学の起こす奇跡を目の当たりにしておられます。そして気を研究する科学者として、気の生発のメカニズムを、元極図などからヒントを得て、同書に「ゼロ磁場」と云う概念で発表しておられます。この概念は、非常に画期的なもので、電子ペアのマイナススピンとプラススピンの相互作用により太極図構造が現れ、その太極図の陰陽を分ける「S字部」つまり電荷ゼロの場に、気が発生するというのです。
元極理論にても、既にそのことは述べられていたことであり、確かに太極図の「S字部」には元気が生発しているのです。後ほど、詳しくもとつきわみ図にて、そのメカニズムをご説明しますが、そこでは佐々木教授の思索の中に入っていない、元光、元音の生発のメカニズムまでもが明らかになります。
佐々木教授は、水素分子を例に取り、電子ペアの安定性についても述べておられます。元極堂に行かれた経験のある方の中で、その堂の扉や手すりなどの描かれていた、図17を記憶しておられる方はいらっしゃるのではあるまいか。これはまさしく双極子を図式化したモノに違いないのです。
ただ、佐々木教授の提唱されたゼロ磁場の概念が、今日、一人歩きしている感があります。売らんかなの「気が存在すると云えばそこがゼロ磁場」的な使い方をされ、正確に気の存在を言うのではなく、訳の判らないものにしています。
皇極のゼロ磁場になるという現象は、均衡の取れた陰と陽が終結している場であると云うことであり、エネルギーが均衡を保っている状態であるということです。差し引きゼロになる。それがゼロ磁場の特徴です。バランスの良いエネルギーがその皇極に充満し、皇極でいろんな事柄が結実して大きな調和の取れたエネルギーとなっているという現象の結果のみをとらえてゼロ磁場と表現しているわけです。
ゼロ磁場の原理を反対に使って、一つおもしろい実験を提案してみましょう。
(図2)のように同じ性能で反転する増幅器を2台用意し、元極音楽を同じように入力します。その出力は、同レベルで相反しますから、スピーカー出力は常に無音となります。しかし、その発現するエネルギーは、単に1台で再生するよりもゼロ磁場の原理により、途轍もないものになる可能性があります。ただし2つの増幅器の位相のずれを極力ゼロに近くしなければなりません。試す勇気のある方は、是非実験してみて下さい。
すでに、皆さんが知り得ているように、元極図というものは、もとつきわみ図に発展しました。もとつきわみ図はついのきわみ図となり、ついのきわみ図は、ついのきわみ球となって発展していきます。エネルギーは常に皇極に集まり、皇極に集結することになります。中央には、陰陽のバランスの取れたエネルギーが集まり、それは、回転するエネルギーを持ってして、周囲のエネルギーから新たなるエネルギーを激発して、再び中央にエネルギーを集結する働きをします。そして常に動き、常に調和を果たす。よって常に中央値は、ゼロであり、そのゼロは大いなるエネルギーであるということです。

(図3)から(図6)に元極図の成り立ちを示します。無極図は、宇宙の根本の成り立ち、起源を示します。この一つの円の中に宇宙全ての三元、法則、意識などが個性を持った独自の存在として、分かつことの出来ない状態で内在されています。これを混沌状態と言います。高度なプラズマ状態と考えても構いません。この混沌状態は永い永い間、収縮と拡張、縮小と拡大、凝縮と膨張を繰り返し、動き続けます。その永い動きの中で、重くて濁った物は降り、軽くて清い物は昇ることで、陰陽が分かれます。その状態が(図4)両儀図です。
そしてさらに永いときの変遷(へんせん)を経て、陰が極まり、その中に陰中陽が、陽は陽で極まって、その中に陽中陰が生まれます。そのとき陰と陽の境目であるS字部に、それまで内在されていた元気が現出してくるのです(図5)太極図。その元気が呼び水となり、蠢くエネルギーの狭間で新たなる元気が激発されます。これが佐々木教授の言うゼロ磁場の真相です。
その太極図も発展し続けます。元極図システムの時は、そのS字の元気が中央に寄り、果てに皇極を形成し、そこに内在の元光を現出するのです。(図6)

現在のもとつきわみ図システムでは、両儀図から(図9)の太極図に変異し、陰より陰中陰、陽より陽中陽が生まれます。その横のS字部からは、元極図システムと同じく元気が現出し、さらに激発されます。そこから進んで(図10)わかつふときわみ図にあるように、横のS字部より元気が、縦のS字部より元光が現出されます。そこから元気と元光を新たに激発しながら、収縮・拡大を繰り返します。それらの元気・元光はS字部の中央によって練り合わされ元気・元光の二元を形成します。同時に極陰は極まり陰中陽を生発し、極陽も同じく陽中陰を生み出します。
その(図11)ふたつふときわみ図は、更なる凝縮・膨張を繰り返し、真ん中に向かって、横のS字部を伝って元気が、縦のS字部を伝って元光が集中していきます。その交差部では元気・元光が練り合わされて、二元を形成します。そしてさらなる集中と動の継続によって、もとつきわみ図(図12)が形成され、皇極が完成します。この皇極では、内なる元音がはじめて現出し、元気と元光、元音が練り合わされ三元を造り出します。
この一連の動きが、本「階み」の功法の根底にあります。「階ふた」までの元気・元光そして二元生成修練の基礎上に、新たな内在元音を駆使する、三元修練がそびえ立ちます。
そしてそのもとつきわみ図(図12)を徹底的に修練できる限られた者 は、その図中の4つの「C字部」上を中央に向かって、内在していた元気・元光・元音と激発する元気・元光が寄り集まり、皇極には三元が練り合わさるのと共に、回転する無極の遠心力によって、新たなる元音を外へと産出します。(横のC字部には内在する元気・元音と新たに激発する元気、縦のC字部には内在する元光・元音と新たに激発する元光が、中央に集中します)
総じて見れば、もとつきわみ図の皇極は、常に中央にありエネルギーが集結するところです。そして、その魚眼4穴にあたる四つの基地は、意識をも顕し、意識は常に反転し、反転しながら対局するところと連絡をしています。対局するところ、対になっているところは、そのエネルギーを調整するために程よいエネルギーの力関係を持ちます。それは、対になっているところは、確かなる一対になっているということです。
無極は、調和されたエネルギーが周囲に押し出され、回転するエネルギーとなります。右へ右へ回転するエネルギーが中央に集まったエネルギーにより、反対の回転をする時にエネルギーが激発されて、大いなるエネルギーに変化し、そして、無極というのは、周囲から全体を促し中央に回転してエネルギーを集結させるような、そういう働きを持つ場所なのです。
しかし、以上説明してきたことは、頭で考えても分ることではありません。順次段階を踏んで修練を積み重ねてきた者のみが体感し駆使できる原理です。
2.長夏と「もとつきわみ季節図」
長夏とは現在では陰暦6月を指しますが、その昔(中国、神農の時代)「超果」と書き土用を指しました。各季節に作物が結実する時のことで、そこを基準として種まきなどの時を決めたのであって、厳密には今の土用とは意味合いが違うのです。後々天文学的な意味合いとして、太陽黄経27,117,207,297度の時を当てはめましたが、24節気と同様、後付の理由です。
「超果」とは、そのとき果実を結実し、またそれを乗り越え、種になり延々と繰り返す季節の瞬間を指す言葉なのです。もとつきわみ図では、長夏の場所は境界線。四季の分け目の季節です。如実に表れる季節を長夏。如実な現象を長夏。はっきりと示された現象を長夏。そして、それが境界となります。
極まって極みつけとなるところが長夏となります。それは境界線という形ではありますが単なる境界線ではなく、スタートラインになるところです。そして、スタートして終結し、そこに集約して入り込む場所になります。そこのところにエネルギーが集約してその中に両方から入り込む場所です。入り込んだエネルギーは、下から上に昇ります。下から上に移動するエネルギーは中心に集められます。それが、「もとつきわみ図」の発展していくゆえんです。そうして、ついのきわみに変化していくわけです。長夏から、下から上にエネルギーが巡り、下から上にエネルギーが渦をなし、その渦の先には、頂点に向かう球心力が働き、球心力がよりレベルの高いエネルギーへと導いていきます。もとつきわみ図が変化していくその課程に長夏の境界線が存在します。そこのところにエネルギーが集約され、それがまた、中心部に集約されていく。それが、発達の原点になります。
「もとつきわみ図」上で魚眼4穴は、立秋、立冬、立春、立夏。C字部から魚眼までの距離と、魚眼から次のC字部までの距離を比べると期間の長さがアンバランスでおかしいと思われるかもしれませんが、エネルギーは距離ではなく、密度です。面積でもありません。あくまで密度だと云うことを覚えておいて下さい。魚眼を越えてC字部までの密度は極端に過密になっています。
たとえば、下の魚眼は立冬で、次のC字部までの狭い間に、小雪、大雪、冬至、小寒が詰まっています。大切に思われる冬至は、「もとつきわみ図」上には表せません。同様に春分、夏至、秋分も「もとつきわみ図」中には表せません。超果を結実する為の冬至です。
陽が極まり、夏の超果の結実が季節の始まりとなります。つまり秋に始まり、冬に休み、春は休みの終結です。
「もとつきわみ図」は発展し、変わり続けます。それは、次の段階が必ず訪れることを明示しています。物事には、必ず発展と発達があります。宇宙は膨張し続け、発展し続けます。それと呼応して、元極功法も常に発展していく功法なのです。エネルギーは、絶えず更新していくものなのです。それが、元極秘録にある「万象更新」と云うことです。
3.伊那谷・長谷村の分杭峠とゼロ磁場
10年ほど前、張志祥先生が来日したとき、佐々木茂美教授のお誘いで長野県の長谷村を訪れたことがあります。そこで張先生は分杭峠の直ぐ下に気の吹き出す場所を指摘されました。そしてそこに建物を建てることを進められ、早くするようにとも言われています。
村では随分暫くたった後、約4キロも離れた下手に生涯学習センターを建てるに至りました。張先生は、「気の吹き出しているその場所に早く建てなさい。」と言われたのです。このことは非常に重要なことです。その場所に早く建てる必要があったのです。
そして、その場所は何も建てられることなく、何年も放置されました。残念ながら今ではそこには何もありません。誠にもったいないことでした。
地元では、分杭峠の近くに中央構造線という大断層が存在するから、ゼロ磁場がそこにあるのだという理屈を付けているようです。しかしそれなら何故、パワーラインにならず、パワースポットなのでしょうか?理屈に合いません。日本中に断層は無数に存在しますが、そこに押し並べてパワースポットやパワーラインがある訳ではありません。例えば阪神淡路大震災以後知られることとなった六甲一淡路断層帯は南西から北東に延びる約50キロメートルもある大断層ですが、ここに良い気の揚を感じるスポットがあるという報告はありません。
更に野島断層などは、六甲一淡路断層帯が動いたことによって断層のズレが10キロにわたって地表まで顕れた部分であるにも関わらず、別にパワースポットでも何でもありません。無形のものを是が非でも有形の物で理由付けしなければならないとする、現在の風潮、科学の悪い例となっています。
元極の普及基地であった中国蓮花山にはゼロ磁場があり、且ついくつかの龍穴が存在しています。ゼロ磁場と龍穴というのは、全く別の問題です。ゼロ磁場が蓮花山にあるからといって、龍穴とゼロ磁場と混同して説明してはいけません。ゼロ磁場は、特徴的に蓮花山の山々にもたらされた自然の原理です。
しかし、それは、どこにでも存在するモノではありません。ましてや分杭峠は、ゼロ磁場ではありません、指摘したのは、龍穴があるということであり、それは、それほど大きな龍穴ではありません。その一帯を潤すような龍穴ではなく、たまたま、そこに見いだすことが出来たということであり、日本一場が良いということでもありませんでした。
著名な者が一言言ったことを、あてはめて歪曲して解釈してしまう。しかもその者が、否定できない立場にあるのを良いことに議論は、暴走し功利的に利益が上がるように、作話されたものにすぎません。
前述の様に、断層があるところの磁場がゼロになるという後付け的な解釈も全く無効なものです。
龍穴とは、風水でも明らかにしている様に、地面の下を流れる気の流れ=龍脈が地上に吹き出している部分のことを言います。
分杭峠の龍穴は、本当に偶然、人工的に出来上がったものです。1420メートル位の高さの分杭峠を背にして、粟沢川、三峰川沿いに右に地蔵岳、左に戸倉山の裾に挟まれて真ん中に低い谷が出来ています。この谷の先に人工的に美和ダムが造られていたのです。この山を背に、両翼を高く挟まれ、先に水を望むこの形が龍穴を生む、典型的なそして風水的に絶好の地形なのです。人が何もしなければ生まれることもなかったこの地に、ダムを造ることによって偶然に龍穴が出来た訳です。そうかといって同じ地形を造ったら、必ず龍穴が出来る訳でもありませんが・・・・。
張先生が早く建物を建てなさいと言われたのは、龍穴を保護するために建物を建てなさいと言われたのです。顕われた龍穴は、そのままにしておくと移動したり消滅してしまいます。中国、台湾、韓国、日本でも古来それらのことが知られていて、見つけた龍穴の上にお堂や神社を建て、良い場を保護したのです。この建物を龍穴上に建て、龍穴を保護・保全するという方法は、風水では一般的な良い方法です。しかし分杭峠では、この峠に奇跡的に出来た龍穴を保全する予定は立ちませんでした。
せっかく張先生の指摘した風水の理論に基づいた正しい方法を理解し、速やかに実行していただければ、この龍穴を保全できたのです。今は無き分杭峠の龍穴は、形無きものへの理解が無きが故の、全くもって残念な結果と言えます。
この峠は、「龍穴の正しい理解により、しっかりと保全する道」と、「無形への無理解が故の無への道」を分かつ「杭」のある峠で、選択の後は「悔い」のみが残る峠となりました。
今言えることは、分杭峠にはゼロ磁場というものは一度も存在したことが無く、人工的にそして奇跡的に龍穴が過去に存在したということだけです。
日之本元極 亀仙人
|
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
理想的な食事の取り方 |
来る秋分特別講座にて、デトックス(出毒素)ダイエットMDの公開をしますので、このところのこの欄の話が「食」に偏っていますが、大切なことなのでお付き合い下さい。
脂肪を身体に効率よくためるように、身体の組織は優先的に働こうとしています。しかし、活動力が勝る場合には筋肉を、内臓にエネルギーが必要な場合には内臓に、というように、その時のその人の体調を維持するのに相応しいように、身体での配分が決まっています。ですから、脂肪を優先的に貯めようとする働きは、そればかりが優先される訳ではありません。
食事の回数は、現在の生活からすると三回が望ましいということになりますが、これは、一回でも二回でも構わないわけです。生活スタイルによって、その生活を支えていく食事の回数を定めていけばいいのです。それで、全く問題はありません。ただし、空腹感を満たしていく、楽しく食事をすることを考えれば、現在の三回が望ましいでしょうというわけです。
食事の回数を多くすれば多くするほど、その食事の吸収量というのは、少なくなります。回数を少なくすれば、少なくするほど、食事の内容物の吸収量は、多くなります。それは、空腹時間が長いために、身体が食物を待ちかねている状態を創るわけです。
お腹がすいて、身体に、栄養が足りないという知らせが、身体の全細胞に行き渡っているわけですから、エネルギーが欲しいという情報に基づいて、身体に少しでも吸収していこうという信号が隅々まで行き渡ります。ですから、回数を少なくすれば、食べる量も少なくすることが出来るのです。しかし、現代の生活リズム、食生活レベル、文化ということから、考えると今のままの三回を続けていけばよいのです。
人というのは、周りと同じ生活をしているとストレスを感じないけれども、周囲の人達と違う行動を取るということで、ストレスを感じてしまいます。人と違った生活をして、わざわざストレスを創り出す必要はありません。或いは今の生活スタイルを変えるということ自体が、ストレスになってしまいます。ですから、標準的な生活スタイルを保って、その延長線上で、生活を整えることが必要でしょう。
食事の回数を減らすことによって、脂肪に変化が起きるかどうかは、明言が出来ません。それは一度に食べる総量や、その人の運動のレベルによって相違しますから、明言出来ないのです。しかし、吸収しやすいかどうかという点では、回数を多くすれば多くするほど吸収率は悪くなり、少なくすれば少なくするほど吸収が良くなるといえます。
食事のコントロールは、非常に難しいモノです。前述の様に現在での理想的な食事の回数ですが、日常的には三回とするのが適当だと言えましょう。しかし現代の生活の中にあって、朝食の時間は、目覚めてからすぐに食べる事がほとんどです。そうではなくて目覚めてしばらく経ち、ある程度の時間が経過して快適な状態になった時に、すなわち食欲が出てきたときに食べることが良いといえましょう。
現在の時間帯の昼を食べて、夕食を食べた他は何も食べないで空腹な状態にしておいて、次の食事を食べることが最適な状態だと思います。反対にあまり空腹を長くすることも、身体の活動を保証する上でも良くありませんから、適度に身体にエネルギーが満ちていることも大切です。回数が三回と定めるならば、それぞれの食事の時間は、自ずから決まってしまいます。その時間は、空腹を保つ時間ですが、5時間ないし6時間が必要となります。現代の生活形態では、5時間半の空腹時間が一番最適ではないでしょうか。もちろん食事の時間を充分にとってゆっくり食べることや、気分良く食事をすることは、大切なことです。これらのことを無視して、機械的に回数や時間を決めるのではなく、落ち着いて食べれる時間に設定することが肝要なことなのです。
食事については、摂取総カロリーという問題があります。他方、それが人によりどれほどのエネルギーを消費して活動をするのか、朝早くから身体を動かして働く者もいれば、ほとんど動かずに事務的な仕事をしている者もいます。一概に総カロリーの理想を話すことは出来ません。一般的には、軽い事務的な仕事をして運動を余りしない日本人の平均に照らし合わせてみると、朝食、昼食、夕食、間食の分配については、朝 20% 昼 40% 夜40% 程度の割合でよいと思います。それは、個人の嗜好や労働の環境、時間によってシフトする%が、変化しますから、一律に何%というように決めてしまうのは困った傾向です。役人は管理して決めたい意向がありますし、一般市民にはガイドラインを示してもらいたいという自主性の無さも垣間見えます。朝と昼食の時間間隔が短い場合や、昼食と夕食の間隔が短かったり、長すぎたりするときには、その%も違ってきます。 そういう生活のリズムにアクセントを加える為、間食を当てると脳の働きの改善に役立ちます。脳の活動には、エネルギーが必要です。それは心地よい状態を脳に届けるためのエネルギーですから、ほんの少しの補給でよいのです。そしてその効用は、おなかを満たすのではなく、精神面での栄養が与えられるのが、間食の役割だと思います。
長い歴史の中で、人は「一服」という文化を産み出しました。それは、お茶のみならず、菓子、間食、休憩を意味します。文化の中で産み出されたものですが、人の身体の中でちょっとした「エネルギー補給」として大切な意味を持ちます。
朝の負担を軽くすることは、身体の負担を軽くすることにつながります。身体は、まだ目覚めて活動しきれていないのです。朝起きてから食事までの間、身体が目覚める様な活動する機会があるのであれば、充分に食べても可能なわけです。個々の生活によって、食事のエネルギー配分も変化させる必要があるのです。
以上述べてきた様に、食事の取り方によって、総摂取カロリーが同じでも身体につく脂肪量が変わったり、快適な生活が出来たり、出来なかったり、総合的に生活を見直す必要があります。
食事の回数、総摂取量、食事の時間と間隔、運動量等によって、血糖値、血中インシュリン濃度、インシュリン抵抗性、体脂肪率、内臓脂肪と皮下脂肪の比率など大きな違いを生み出します。そうしたことをうまく調和コントロールしてメタボリック症候群にならないよう、また糖尿病などを引き起こさない様にすることが、いつまでも快適な生活を送る秘訣となってきます。
本日(2007.09.02)朝日新聞朝刊記事に次の様な記事がありました。ご参考になさって下さい、そのまま引用させていただきます。
(2007.09.02)朝日新聞朝刊記事の引用。
asahi.com>サイエンス> 記事
糖尿病は万病のもと アルツハイマー発症4.6倍
糖尿病やその「予備群」の人は、そうでない人よりアルツハイマー病になる危険性が4.6倍高いことが、九州大の清原裕教授(環境医学)らの研究でわかった。福岡県久山町の住民約800人を15年間、追跡して分析した。がんや脳梗塞(こうそく)、心臓病も発病しやすいという。糖尿病が、失明などの合併症に加え、様々な病気の温床になることが浮かび、その対策の重要性が改めて示された。
九大は久山町で1961年から住民健診をして、生活習慣や体質と病気の関係を研究。死亡した場合には解剖への協力を求めている。
清原さんらは85年時点で、神経疾患などを研究する米国立衛生研究所の研究機関の基準で認知症ではないと判断した65歳以上の826人を追跡。00年までに集めたデータの解析を進めてきた。
15年間に188人が認知症を発症し、うち93人がアルツハイマー病だった。画像検査のほか、死亡した145人は9割以上を解剖して確定診断をした。
同じ826人について、ブドウ糖の代謝能力である耐糖能の異常も調査。生活習慣が主な原因とされる2型糖尿病の病歴がある▽空腹時血糖が血液0.1リットルあたり115ミリグラム以上――などの人らをアルツハイマー病調査と合わせて分析した。これら糖尿病やその予備群の人は、耐糖能異常のない人に比べて4.6倍、アルツハイマー病になる危険性が高かった。
清原さんによると、脳にたまってアルツハイマー病を引き起こすとされる物質は、インスリン分解酵素によって分解される。耐糖能異常の人はインスリンが少ない場合が多く、分解酵素も減るので、アルツハイマー病の危険性が高まるという。
解剖などによる確定診断に基づいたアルツハイマー病研究で、これほどの規模のものは世界でも例がないという。
また、別に40~79歳の約2400人を88年から12年間追跡し、糖尿病とがん、脳梗塞などとの関係も調べた。その結果、糖尿病の人は、そうでない人よりがん死亡の危険性が3.1倍高く、脳梗塞も1.9倍、心筋梗塞など虚血性心疾患も2.1倍高かった。
清原さんは「糖尿病対策がアルツハイマー病予防につながる可能性がある。国内ではここ十数年で耐糖能に異常がある人が女性で2割、男性で4割増えており、対策を急ぐ必要がある」と話す。 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
なぜ動物を食べてはいけないのか 2007.7.17up |
よく修練者から出される質問、「なぜ、動物性のタンパク質は制限することが必要で、植物は食べても良いのか?」に答えます。
組成が違うというのが一番の理由です。それは一般に植物というのは、動物の身体に取り入れられて、動物の身体を成長させて、維持することが出来るようにという目的のために生まれてきたものです。動物に食べられて、また次の命を産み出すという性質を持っています。たとえば、植物は動物に食べられて、その種が糞となって広域にばらまかれ、自らの生存域を広げ、子孫の役割を広げていくというような特質を持っているので、その組成は、動物に受け入れられやすいように創られています。植物はそういう食料としての本来の機能を持っているということです。動くことの出来ない植物が、動物に食べられることにより、自分たちの子孫を増やし、広げることを達成しているのです。植物にとって動物に食べられることは、むしろ喜びであると感じています。
肉食は、人の身体を維持することが可能ではあります。しかし、身体を成長させるためのエネルギーとしては不適切である、といえます。動物としての人が動物を食べる行為は、身体を維持させるためには有効ですが、それを食べて子供が成長するのは、有害だということです。それは、成長に相応しいタンパク質ではないという理由からです。動物の恐怖心、動物の生きてきた営みを中断させるようなエネルギーを食肉は持っています。ですから、次から次に生まれ変わって(子供の体内では細胞が次々に生まれ変わっています)成長するような、段階にある子供たちの食べるものではないということです。
命がそこで途絶えた、無念な気持ちがそこにはあります。そういう意識を魂や他の意識も持ち、かつその想念を肉体に残して離れて行っているのです。その思いが全て物質的な栄養の中に含まれていて、人はそれをも全て食べてしまいます。よって、子供にとって動物性のタンパク質は必要ではなく、むしろ有害であると言わなくてはなりません。大人の身体を維持する為には、ある程度食べるのはやむを得ない面はありますが、子供は食べてはいけないのです。
食肉にはそうした想念とは別に、その物の持つ波動という問題もあります。一般的に言うと、大きな動物ほど、寿命が長く、小さい動物ほど、輪廻転生、次から次に生まれ変わる時間が短いという傾向があります。もちろん例外もありますから、一概にはいえませんが、小さい動物ほど早く死んで生まれ変わるというような性質を持っています。そういうふうに、早く生まれ変わり死に変わりして、大きな動物になってくるとどんどん、人間の波動に近づいてきます。長生きをする波動を持つのです。そうすると、長生きをした動物というのは、波動が悪いのです。つまりは、老化現象を感じるわけです。老廃物の蓄積もあります。人の波動は、もし食べようとするならば、とても悪い波動を持っているのです。長生きする動物は、食料として適切ではないのです。
食肉用の肉には、例外はあります。大型化して飼育しているものもありますから、すべて、大きい動物が悪くて、小型の食肉が良いかといえば、そうでもありません。小型のものの寿命が短くて、物理的な面もたくさんあります。大型の動物は、小さな動物を多く食することにより、その中の邪気、有害物質を蓄積していきます。身体の中に、邪気や有害物質をため込まないという意味で、若いもの、新しい者は比較的『良い』わけです。
役割の問題もあります。なるべく長生きして人のために働いた動物の魂は、次の段階で人の潜在意識として使われるわけです。その観点から見れば、食料として育てられたものは、食料として良い波動を持ちますし、そうではなくて、人のために生きること、人の役に立つために、生きる役割を持ったものは、食料としてではなく、生きて働くために良い波動を持ちます。むしろ、食料として食べられるよりも、人の役に立って、身近で働くことに優先順位があります。ですから本来、食料としての役割を持っていない動物は、波動も悪く、その肉体の上に依拠していた意識は役割を全う仕切れなかった思いや、死への恐怖、殺そうとする人に対する反感などを自らの肉体に残して離れて行っています。そうした食料が身体に良いわけは無いのです。
何度も生きて来た、生き変わり死に変わりしてきた意識を持った、そしてより人に近い動物の肉は、基本的に食べてはいけないということです。
日之本元極 亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |
食と気功
食事の質と量について 2007.7.5 |
30年ほど前、仕事で取引のあった米国人のマネージャーが、次のように言ったことがありました。
「我々アメリカ人は喰うために働いているが、日本人は働くために喰っている。」
もちろん彼は、当時の日本人の生活を茶化して言ったものですが、この頃の日本人の生き方が悪かったとは思いません。その後の日本は、彼の言うような生活態度に近づくように変遷してきましたが、その道はますます欲望の増大していく無間地獄に堕ちていくようなものです。自らの正しい生き方、働き方をもって、社会、世界、通じては宇宙に少しでも貢献できるよう、喰って生きながらえていく事は、むしろ推奨されるべき事です。
「喰うために生きるのではなく、正しい生き方をするために喰う。」のです。
しかし先進国で飽食の限りを尽くし、もったいなくも食い物の多くを残して捨てている一方、
世界の中では餓死していく人々が少なからずいる現実があります。うまく分け合えば、十分世界中の人々が足りるだけの食料があるにもかかわらずの現状です。
いずれ近々、食料を全世界で融通し合ったとしても足りなくなるときが来るでしょう。正しい生き方をしようにも、喰えずに死んでいく人々が出てきます。そのようなときにも困らない為に、食べる量が減っても生きられる様にしておけば良いのです。元極功法は、それを可能にする功法です。
本来、人は少量の雑穀と野菜で生きられる様に創られています。しかし、文化が芽生え、生活が豊かになってくると、いろいろな物を楽しんで食べる様になってきました。一日何カロリー必要で、何が何グラム、何を何グラム以上取りましょうと、提唱する現代栄養学は、自分たちの欲望を取り繕う言い訳に過ぎません。有形な物だけでエネルギーを取り入れるという風に限定して言えば、正しいと言えるかもしれません。人が、人の能力をきちんと発揮して生活すれば、目に見えない形を取って、エネルギーを体内に取り入れられる訳で、そうすれば有形で取り入れる量を減らすことが出来るのです。
人類は今まで石炭、石油、原子力などの有形なエネルギーを主に使用してきました。一方、太陽電池の様に無形のエネルギーを変換して使用することも可能ではありませんか。それと同じようなことを人体でもやるだけの話です。世界中には多くのエネルギーを体内に取り入れる功法がありますが、食べる量を減らすことの出来るまでのエネルギーを取り入れられる功法は数えるほども存在しません。
日之本元極功法は、12段階の功法の内、「階む」「階ひと」「階ふた」「階み」の4段階を公開していますが、その内の3段階のそれぞれで既に無形のエネルギーの取り入れで食事量を減らすことが出来ます。「階ひと」教科書の「食事について」で、その前段階として現れる『飲食の自然なる取捨選択』について少し述べてあります。功が進めば個人差はありますが、いずれ波動の荒い動物性の食料は取らなくなるか、取れなくなってきます。その後、
「階ひと」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/2
「階ふた」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/3
「階み」を終了し、修練量が足りていれば、通常の約1/4
の摂取総カロリー量で食事は足りる様になります。これらのことが起きてきても、食事を無理に減らしたり、精進料理に限定することはありません。食べられるだけを食べられる様に無理なく就餐(しゆうさん)すれば良いのです。総量を調整してバランスよく減らします。偏るべきではありません。あれもこれも食べる必要はありませんが、いろんなものを少しずつ食べると、必要な食品が必要なだけ食べられます。
無理をして、食べる楽しみまで削ることはありません。しかし、すべてを食べ尽くしても、更に増殖し続けようとする現代人の食欲の影で、我々だけでも今後どんな事が起きようとも、きちんと対応できるよう、自らの肉体を進化させておく必要がありそうです。
亀仙人 |
| このページの先頭に戻る ▲ |